小さいころの私は物怖じしなくて活発で幼稚園も学校も大好きで友達とも本当に対等に付き合えていた
何も悩みがなく毎日が楽しかった
でも、あることをきっかけに自分を小さくして生きるようになった
そこからの人生は実に悩みに満ちていた
人の目を気にする 自分の言ったことは相手を傷つけていないか いつも自分は正しく生きているか 人に対して誠実に対応しているか・・・などなど
自分を見えない鎖でぐるぐる巻きにしばりつけていた
途中鎖がほどけたように思っていたがやはり鎖は身体に巻き付いていて、気が付けばまた私の身体を縛っていた
でも小さい時と違って その息苦しさの原因が見えない鎖だと大人になった私にはわかった
そしてその鎖がなんなのかはっきりと見えた
いままでおぼろげに見えてはいたが、心の中に押し込めていた鎖の実態
人それぞれに自分を縛る鎖は違うと思う
あるひとは親の価値観であったり、あるひとは先生の価値観であったり
私を縛っていた鎖は宗教だった
キリスト教という鎖
クリスチャンという鎖
目には見えないが身体を幾重にもぐるぐるまいて
身動きの取れないようにしていた
身体だけではない
こころをぐるぐる巻きに縛られていた
心も身体も小さく小さく縮こまっていた私
あることをきっかけに鎖を引きちぎった
クリスチャンをやめたのだ
自分を小さくして生きている人たちへ伝えたい
自分の人生 大切に生きようよ