日々の想い

子どもたちへの想いや母の日常をつづります

長男に会った日に2~長男との言い争い

長男と話をしていると

ときおり別居時の

 

「面会」(この言葉は今でも悲しくなる)

 

のときの長男のようになる時がある

 

 

やはり二年半といえど

義家で過ごし 

面会時に私が責められていたこと

義家のことを口止めされていて自由に話せないこと

などが原因なのかもしれない

 

今回は会話の中で

最近のニュースや事件(子どもに関する痛ましい事件)について話していたときだった

 

・・・おかあさん そんな話やめて・・・

 

私は子どもに関するニュースや事件を長男と話して意見交換や

長男の見解などを聞けるかなという思いで

話してたつもりだったが

長男はそんな話題が相当嫌だったようだ

 

子どもが犠牲になる・・・そんな話が苦しかったのかもしれない

 

そして私をまた責めはじめた

 

洗い物をしながら聞いていたので

話の内容は良く聞こえなかったけれど

私を責めているのはわかった

 

洗い物が終わって

大人げないけど私は反論してしまった

 

・・・どうせそうやって向こうの家でおかあさんを悪く言っていたのでしょ....!・・・

 

・・・親が離婚したのに俺たちは巻き込まれただけだよ...長女ちゃんも言ってただろ?・・・

と長男

 

・・・おかあさんは悲しい!悲しいよ!巻き込まれただけって....あんたたちはおかあさんにあの時なにをした?蹴飛ばして閉め出して追い出して!・・・

 

ああ 私はまた言ってはいけないことを言ってしまった

と思ったら長男は

 

・・・それについてはごめんなさいしかない...俺だっておかあさんとケンカしたくない こんなままじゃ俺は明日一人で帰るよ?おかあさんを俺ん家に呼ばないよ?・・・

 

・・・悲しいよ おかあさんは悲しい・・・

 

私はそれだけしか言えなかった

 

・・・おばあちゃんところいこう・・・

 

長男はそう言った

 

実家に行く約束の時間になっていた

 

そのあとはごく普通に話しながら

実家に行き

すっかり普通の感じになった

 

良かったと思った

 

長男は私に対していろんな消化しきれてない思いや

板挟みの想いに

苦しみがあるのだろう

 

ふとした会話の中で

この日のように私を責めてくることがある

 

私も反論してしまう

本当は長男の想いに寄り添って

もっと大人な対応をしなければいけないのだと

わかっている

 

でも私は反論してしまう

 

こういうときに

一人家族から切り捨てられ追い出されたことに

私もやっぱり相当に傷ついているのだ

と改めて気付く

 

でもすぐに

元に戻ることが出来るのは

やはり

親子だからなんだと思う

 

長男が自由に自分の思いを吐き出せるように

 

吐き出したあとも

縁を切られるとか勘当されるとか

見捨てられるとか切り捨てられるとか・・・

 

親子ってそんなもんじゃない

って心の底に深く感じて欲しい

 

親子ってもっと暖かくて揺るぎないものなんだって

感じて欲しい

 

 

あの出来事で

子どもたちが一番傷ついた

 

それを

私は今後も忘れてはいけない

 

たとえ長男に理不尽だと思うことを言われようとも・・

たとえ思わず反論をしてしまったとしても・・・

 

長男が安心して溜めていた想いを吐き出せるように

 

子どもたちの悲しみ苦しみは

自分の比ではないという本質を

忘れてはいけない

 

それはけして忘れてはいけないことなのだ

 

 

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