こういうことを聞いたことはないだろうか
いつも不真面目で喧嘩ばっかりして茶髪のいわゆる不良と言われる人が、花を踏まずによけたとする お年寄りに席を譲ったでも構わない 要するにいつも悪いことをしているひとが些細な善行をしたときに本当はすごくいいひとだったんだと言われる
いつも真面目で良いことをして優しいひとが何かの折に我慢が出来なくて怒ったり、切れたとする ようするにいつも良いことをしているひとが些細な悪行と思われることをしたときにあのひとは本当はわるいひとだったんだと言われる
よいことをしている時間や日数は断然多いのに、些細な悪行のために本当は悪い人だったんだと言われたり、本当は心がつめたいひとだったんだなどと言われる
その反対に悪いことをしてやりたい放題自己中心的に生きているひとが、ちょっと道端の花をよけたり、お年寄りに席を譲っただけで本当はよいひとだったんだ、見かけだけでひとを判断してはいけないなどと言われる
なんだか理不尽には思わないだろうか
いつも大半は真面目にしているひと、いつも大半ふまじめにしているひと
どちらもちょっといつもと違う姿を見せただけで本当はあの人は
◯◯なひとだとレッテルを張られてしまう
いつもと違う顔をひとは本当はあのひとは・・・といってジャッジしてしまうが、いつも大半の時間を過ごしているいつもの顔こそが本当の顔なのではないかと思う
世の中は理不尽なことが多いのだ
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