日々の想い

子どもたちへの想いや母の日常をつづります

離婚からの立ち直り~足踏みをしてしまうのは何故

 

 

涙はきっと明日の喜びになるから

涙はきっと明日の喜びになるから

 

 

 

離婚して・・・

 

すぐに新しい人生を始めるひと

いつまでも足踏みをしているひと

 

その違いが出てくるのは

 

離婚に納得しているかしていないかの違い

離婚を言い出した方と受け入れた方の違い

子どもたちとの生活が続く方と奪われた方の違い

が大きく影響する

 

私は足踏みをしているほうの人間

 

 

・・・酷い仕打ちを受けたのにどうして足踏みをしているのか

早く前を向いて楽しく生きればいい・・・

 

世間一般のひとの考えはきっとこんな風だろう

シンプルに考えたら

自分に酷いことをした相手と再構築するなんて信じられない

となるだろう

 

けれど

足踏みをしてしまう方には複雑な想いがある

 

私に限って言えば

 

結婚をとても神聖なものと思っていた(クリスチャンであったため)

添い遂げることを大切に想っていた

離婚なんて想定外のことだった

家族の歴史を大切に積み重ねたかった

子どもたちの環境を変えてしまった悲しみ

子どもたちの気持ちを思うと辛くなる心

 

そんな気持ちを簡単に捨て去ることはできないからだ

 

常に子どもたちが傷つくのではないか

子どもたちはどんな想いでいるか

 

私が前に進んで新たなパートナーを見つけ

新しい人生など歩み始めたら

もう家族は本当に取り返しのつかないものになってしまうのではないか・・・

など考えてしまう

 

でも

元夫はそんなことはお構いなしのひとだったと

この出来事で知った

 

思春期の子どもたちはきっと

元夫の婚活、女性との交際の件で深く傷ついただろう

 

そこに追い打ちをかけるようなことは

今の私には出来ない

 

せめて

元夫がその婚活女性との交際を

子どもたちにオープンにしないでくれたら・・

そして結婚という形を取らないでくれたら・・と切に願う

 

結婚ということになれば

子どもたちの人生にもその女性は大きく関わってくることになる

 

子どもたちは

自由に父の家に帰省することが出来なくなるかもしれない

もし元夫が病気や認知症になったとしたら

そしてその女性が病気や認知症になったとしたら

 

子どもたちの人生にも大きく様々なことがのしかかってくるだろう

 

その女性にも子どもがいるので

血の繋がりのない形だけの親戚関係、兄弟?関係を結ばなければいけなくなる

 

もし元夫がその女性より先に亡くなったら

子どもたちは元夫の実家に帰省することも出来なくなるだろう

相続の問題も出てくることだろう

 

子どもたち全員と私が関係を回復していない今

子どもたちのことを案じる事しか出来ないから

足踏みをしてしまうというのが私の本当の想いなのかもしれない

 

離婚に納得していない=もう心の奥では納得しているのかもしれない

 

添い遂げたかった=あんな仕打ちをするひとと添い遂げなくても良かったと心の奥は

         わかっているのかもしれない

 

ただどんなひとであろうと

 

・・・大切な子どもたちのおとうさん・・・

 

この事実が私があのひとを嫌いになることにブレーキをかける

あのひとのことを私の人生から閉め出してしまうことをためらわせる

 

 

でもそのひとは簡単に子どもたちの母親である私を切り捨てることができるひと

陳腐な男女交際を自分のために子どもの目の前でできるひと

 

価値観の違いをそこではっきりと認識できる

 

心の底から

わかりあえるひとだった?

 

心の底から

愛していた?

 

心の底から

尊敬していた?

 

きちんとお互いを認め合っていた?

 

相手を思いやって支え合っていた?

 

ちゃんと話し合いが出来ていた?

 

一緒に問題解決ができるひとだった?

 

突然に別居になり

子どもたちと暮らせなくなったことで

自分の気持ちを見つめるよりも

焦りと悲しみと苦しみでいっぱいだった当時の私

 

今は少しずつだけれど

自分は?何が心地よい?どんな考えが好き?

と問いかけることが出来るようになった

 

ゆっくりゆっくり

本当の自分に出会っていきたい

そして自分の魂の声を聴きたい

 

子どもたちの心を守り大切にしながら

自分の魂の望む生き方を選択していきたい