日々の想い

子どもたちへの想いや母の日常をつづります

親子の断絶~家族の歴史を無情に捨てられる捨てさせることが出来るひとたち

離婚

さまざまなケースがある

 

子どもがいなくて

二人ともが別れたい気持ちが一致しているなら

すっきり前を向ける離婚になるのだろう

 

子どものいる離婚

子どものいない離婚

 

この2つは大きく違う

 

子どものいる離婚は

関わるひとたちの人生を大きく変える

 

そして

 

離婚を望む方と離婚を言い渡される方では

 

辛さも大きく違う

 

ましてや

離婚を望む方が子どもを計画的に奪い取ってしまったら・・・

 

奪われた方は

大きなダメージを受け

立ち上がるだけでも精一杯

生きているのも精一杯

 

涙を流しながら

子どもを思いながら

 

家族の歴史や

これから積み重ねていくはずだった家族の未来

 

家族として夫婦として

歴史を振り返ったり

歴史を積み重ねることはもう出来ない

 

ということを受け入れなければならない

 

世の中には

いろんなひとがいて

いろんな考えがある

 

たいていのことは

すり合わせが出来なくても特に支障はない

 

でも家族や結婚や夫婦・親子に関して

考えが大きく違っているひとが夫や妻だったら

何かことが起こったときに

思い描いていた人生や

子どもたちとの別離を余儀なくされることがある

 

パートナーを選ぶときや結婚するときには

いろんな理想がある

 

気が合うとか一緒にいて楽しいとか真面目とか・・・

生活していく上での価値観

こういったことも大切なことだ

ひとによってさまざまな価値観があると思うが

ここが違っていたなら日常はしんどいだろう

 

ここがしっかり合っていても・・・

 

 

家族として夫婦として

添い遂げていくことを大切に思うこと

 

この価値観を持っていないひとと結婚してしまったら

離婚や親子断絶を経験する可能性が出てきてしまう

 

私の元夫と私も

親子や家族や結婚や夫婦に関しての

大切な価値観が違っていたということを

別居や離婚の渦中で大きく思い知らされた

 

なぜ家族の歴史を子どもにまで捨てさせるようなことが出来るのだろう

 

なぜ自分の人生の大半を過ごしてきた時間

家族の歴史を捨てられるのだろう

 

なぜ私と子どもたちを断絶させるようなことが出来るのだろう

 

なぜ思春期の子どもたちに婚活で見つけた

どこの誰ともわからない女性との交際を見せつけることが出来るのだろう

 

どれもこれも私には出来ないこと

 

こういうことが出来るひとと出来ないひと

 

こういうことが出来るひとは相手が違うひとでも出来る

こういうことが出来ないひとは相手が違うひとでも出来ない

 

百歩譲って

どうしようもない何かが起こって

離婚をするという選択になったとしても

親子断絶なんて出来ない

 

でも価値観の違うひとは

平気で親子断絶が出来る

 

失われた家族の歴史や未来に涙しながら

ゆっくりゆっくり歩き続けて

改めて元夫と私の違いに気付き

認め受け入れられるようになって

やっと少しずつ前を向けるようになってきた

 

長男と関係回復できたことと

次男と一度だけだけれど会えて話せたこと

三人とも社会人や大学生になりあの家を出たことも

前を向けるようになってきた大きな出来事たちだと思う

 

元夫のバカップルぶりも

最近では心が前に向くための材料になりつつある

 

元夫は

こんなに幼稚なひとだったんだなぁ

交際相手の女性もおんなじように幼稚な考えなんだ・・・

 

私には出来ないなと思ったら

心に光がさしてくる

 

違う価値観だったのなら

仕方ないよねと

 

自分とは違う価値観だったのだからと

 

 

2020年

 

子どもたちと私にはどんなことが待っているのだろう

 

再会して

自由に連絡を取り合って

失われていた子どもたちとの時間を再び取り戻せるように

そして片親疎外や親子断絶から

子どもたちが脱出できるように

当たり前の母と子の時間を紡いでいけるように

 

今出来ること

今会える長男に感謝して

生きていこう