日々の想い

子どもたちへの想いや母の日常をつづります

「面会」という言葉~引き離されたその日から理不尽なことが始まる~

 

離婚毒―片親疎外という児童虐待

離婚毒―片親疎外という児童虐待

 

 

・・・面会・・・

 

この言葉を聞いて

思い浮かぶのはどんなシチュエーションだろう

 

病院 刑務所 施設・・・

 

わずかな限られた時間を区切って会う時間

 

別居や離婚 引き離しによって

ある日突然親子が普通に触れあえなくなることがある

 

子どもたちを手元に置いた方の親から

理不尽にも

「面会」

の日時を設定される

 

その「面会」を守らなければ

警察を呼ぶ❗だの

警察に行く❗だの

自治会に通報する❗だのと

権力を振りかざして来る

 

子どもを手元に置いた親の考え一つで

子どもたちとの関係は一変してしまう

 

子どもにとっては

どちらも紛れもない親だ

でも

その一方を排除し

排除するだけでなく

子どもにも接触をさせないように

口頭でいう場合もあるし

言わない場合でも

暗黙の圧力をかける

 

片方の親を全く無視して

いないように扱ったり

片方の親をまるで悪人のように

扱ったり・・・

 

私の場合も

9年前

夏休みの終わりの8月に

元夫の実家に子どもたちと元夫が引っ越しして

私だけが自分の実家に行かされ

後で呼ぶと言われて

別居を余儀なくされた日から

面会という形でしか

子どもたちに会えなくなった

 

最初は

 

面会ってなに!

 

と憤慨したが

 

酷い扱いを受け続け

それを受け入れるしかなくなった

 

争い追い返される姿を子どもたちに

見せるのも良くないと感じた

 

家族ってなんだったんだろう

夫婦ってなんだったんだろう

 

なぜこんな目に合わされるのだろう

 

子どもたちに会うためにすることは

すべて裏目に出て

気持ちは焦るばかりで

 

そして

いつしか相手方は

離婚離婚といいはじめ

 

信じられないという私に

 

・・・信じられたとしても離婚する気もないくせに!・・・

 

と言い放った

 

私は

 

なぜ?なぜ?

 

17年間の家族の思い出をこんなに簡単に捨てられるの?

子どもたちを一緒に育ててきたのに?

子どもたちの環境をこんなにも変えてしまうの?

夫婦として家族として親子として積み重ねて来たものは?

 

なぜ?なぜ?

離婚なんてなぜ?

と苦しく辛かった

 

この別居の発端となったのは

 

社宅廃止に伴う引っ越しで

私が心のバランスを一時崩して

家族(元夫と子ども)の気持ちを振り回してしまった

 

ということ

 

子どもと離ればなれになり

私はもっと心のバランスを崩した

 

今思い出しても

胸が苦しくなる

 

結局

元夫と私は

深いところでの価値観が違っていたのだ

 

年月がたち

冷静に

その頃の元夫の行動や言動を振り返ると良くわかる

 

それから

最近の元夫の行動を見ていても良くわかる

 

私とは違う価値観なんだ

 

でも

子どもたちにとっては

おとうさん

 

私が元夫のことを嫌ったり会話の中で

無視したりすれば

子どもの心は傷つくだろう

 

子どもたちをこれ以上傷つけたくない

と同時に

私もこれ以上傷つきたくはない

 

今長男とは普通に連絡をとれている

 

本当にありがたいことだ

 

これは長男の勇気でもある

 

次男と長女には

 

面会設定されたあの日から

自由に会えなくなり

連絡をとれなくなっている状況のまま

(次男は一昨年の秋に奇跡的に会えたけれど)

 

まずはそれを解消し

 

子どもたちの心からの笑顔を取り戻したい

 

親子が会うことを

「面会」

という悲しさ

理不尽さ

 

そんな言葉を平気で使えるひとが

自分が選んだパートナーだったという悲しさ

 

いろんな悲しみがミックスされて

今でもまだ胸が痛くなる

 

心から笑顔で子どもたちと会える日まで

 

一歩一歩

歩いていこう